写真:Wikimedia Commons経由 / CC BY-SA 4.0
Kurt Cobainが死んだのは1994年4月5日。数週間のうちに、ブートレグの追悼Tシャツがシアトルの歩道で、バークレーのTelegraph Avenueで、ニューヨークのSt. Mark's Placeで、そしてスクリーンプリンターと、自分の感じているものをどうにかする必要のあった世代の子どもたちがいるあらゆる街で売られた。許諾は取られていない。趣味がいいものでもなかった。その多くは美しかった。
そこで生まれた追悼Tシャツというジャンル——子ども時代の写真、生年と没年、ときに歌詞の一節——には、いまでは固有のデザイン言語がある。Tupacに、Biggieに、若くして有名なまま死んだ人物に当てはめられるのと同じ型だ。だが1994年の時点では、それはまだ新しかった。少なくとも新しく感じられた。悲しみをコットンの上で量産する仕組みを設計した者は、それまでいなかった。人々はただそれをやった。代わりの選択肢が「何もしない」だったからだ。
このTシャツに使われているのは子ども時代の学校写真である。「Smells Like Teen Spirit」のビデオのあの有名なカットでもなく、Unpluggedのカーディガンでもなく、のちにKurt Cobainというブランドになる図像のどれでもない。学校写真だ。子どものように見える。実際に子どもだった。刷られている文字はKURT D. COBAIN (1967-1994)。それだけだ。
Cobainの遺産管理はCourtney Loveが、のちにFrances Bean Cobainが担い、この数十年で彼の肖像は広くライセンスされてきた。公式のNirvanaグッズはいまTargetで買える。Kurt CobainのFunko Popも手に入る。1994年のブートレグの追悼Tシャツと2024年のTargetのフーディーとの距離は、30年ぶんの時間と、悲しみが知的財産になるとき何が起きるのかという哲学的な行程まるごとぶんである。
こちらから判断を下すつもりはない。言っているのは、このTシャツが「その前」のものだということだ——最初の一年から、衝動から、スクリーンプレスを持っていて、その瞬間に印をつける必要のあった誰かの手から出てきた。コンディションはビンテージ。コレクターから出たものだ。一枚しかない。これを置いている理由はそこに尽きる。誰かが何かを感じたという理由だけで、一度きり、手で作られたものだからだ。
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ヘッダー画像:Tijs van Leur撮影、Unsplash経由



