Pemulis Water & Power • サンフランシスコ、アウターサンセット
ビンテージのモトクロスジャージを裏返して、襟を見てほしい。90年代半ばのFoxのジャージなら、こんな文字が出てくることがある(英文は当時プリントされていた文言そのまま、括弧内は訳)。Dream On.(夢を見続けろ)。あるいはAttitude is everything.(心構えがすべてだ)。1995年のAXOにはFace the future!(未来と向き合え)。1994年のSinisaloにはThis might be the best thing that could happen to you.(これは、君の身に起こりうるいちばん良いことかもしれない)。両袖の内側にもメッセージを入れたブランドがある——ジャージを着ている本人にしか見えない裏地に、小さなスローガンが縫い込まれていた。
このディテールはカタログに載っていない。雑誌の広告にも出てこない。コースの脇に立って、速度に乗ったライダーが通り過ぎるのを見ている観客には、何の価値もない。襟の内側のメッセージは、たった一人のためのものだった。ライダーである。だからこそこれは、繊細さで知られているとは言いがたい90年代のモトクロスギアにおいて、いちばん面白い部分のひとつになっている。
この時代のMXジャージの外側は、とにかく叫んでいた。AXOは1991年、総柄の「Gelprint」を先駆けている——アジアで開発された技法で、ジャージ全体を鮮烈なグラフィックの色で包み、1枚50ドル、当時としては高価だった。一年もしないうちに、ほかのブランドはすべてこれを真似した。Foxはゼブラ、スパイダーウェブ、有刺鉄線を走らせていた。Jeff "Chicken" Matiasevichが着ていたピンクとブルーのスパイダーウェブの組み合わせは、三十年経ったいまでもライダーたちがカラーウェイの名前で口にする。ジャージは、速度域でも観客席から読み取れるように設計されていた。つまり、高いコントラスト、うるさい柄、まともな趣味の理論をことごとく破る配色である——当時のある観察者の言葉を借りれば「イエローにパープルにオレンジ? いいね」。目的は、見られることだった。ブランドは、レースカーがリバリーを競うのと同じやり方で、視認性を競っていた。
襟の内側は、逆の論理でできている。私的なのだ。わざわざ裏返すほど注意を払う人間に、あるいはレース前にジャージを頭からかぶり、千回目のその文字を目に入れるライダーに、ブランドが直接話しかけている。Dream On. Face the future. 大量生産のギアメーカーの動きとしては奇妙である——ほとんど誰も読まない場所にメッセージを置く。だが、この時代の心性には合っている。80年代後半から90年代のモトクロスは、外から見たスペクタクルと、内側で実際にやっている感覚とのあいだに、途方もない隔たりのある競技だった。外側は、けたたましいグラフィックとネオンと、Fox時代の七倍の額でAXOと契約したDamon Bradshawだった。内側は、セントラルバレーのどこかのローカルコースで、レース前にジャージを頭から通し、襟に縫い込まれたAttitude is everythingを百回目に読んで、それを本気で受け取っている十七歳だった。
ギアは実際に、壊れることを前提に設計されていた。この時代のモトクロスパンツは、普通に乗っていれば数か月ごとに入れ替わる。ジャージのなかには、救急室でキャリアを終えたものもある——転倒のあと病院でギアを切り裂かれた話は、個人の不運というより、受け入れられた職業上の変数のように読めるだけの数がある。無傷で生き残り、外傷処置室でも埋立地でもなくクローゼットにたどり着いたものは、スペアだったか、使い切られる前にコースから引き上げられたかのどちらかだ。きれいな一枚がいま見つかりにくいのは、そのためである。ジャージは取っておくために作られてはいない。着られなくなるまで着るために作られていた。
残っているのは、当時の生産数のごく一部だ——偶然によって生き延び、誰かがある日それに乗らないと決めたおかげで、三十年ものあいだ箱や引き出しや実家のガレージの奥で過ごしてきたものである。その一枚一枚に、あのオリジナルの襟の内側のメッセージが、いまも縫い込まれたまま、読める状態で残っている。人が話題にするのは外側のグラフィックだ。探す価値があるのは、内側のほうである。
仕入れは、古着屋、遺品整理のセール、そしてコレクターからの直接の買い付け。どれも一点物だ。



